見た目のコンプレックスなんざ、たかが知れたもんで。
こんな姿に生まれてきてしまったものは仕方ない。
親がいて、遺伝子があって、私がいるのですし。
しかしながら、精神、心、感性なるものへの執着は高く。あの人はどうしてこうしてといつも考えてしまうのです。
それについてもまたどうしようも出来ない事ではあるんだけれど。昔の自分と今の自分がどうであったかと言うのを比べてみると、おや何だか変わってきたのでは無いかと思う時もある。
その時の友や環境で心と言うのは変わっていくのでは無いだろうか。
例えば恋人。
昔の恋人がどうであったかと考えたとき、それはそれは「普通」を絵に描いたような人でした。何故だろうかと考えたら、その時の私もまた「普通」だったからです。
それから新しい友ができ、新しいことへ興味を持ち。絵を描き始めたりして。
今の私はどうかと言うと・・
私の周りにいる人々はどうかと言うと・・
類は友を呼ぶのですね。
普通だった時はそれに何の疑問も持たずに生活してたけど、今は何だかあの人のこの感性がとかあの人のこの気持ちとか、そんなものが気になってしまうわけで。そこにいる時の自分がとてもちっぽけに思えてくるのです。
見た目の違いと言うのは、はっきりとそこに見えるものだから納得する事が出来るのかも知れない。
心の違いと言うのは。
答えが見つかる事は無いような。
でもそれは、分からないから面白いのだろうなと思う。
よし、次の展示のテーマはこれにしよう。
久しぶりに沢山展示するので、楽しみです。
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それでは皆さんまた明日。